2 Concurso de Musica Espanola para Piano destinado a Jovenes Interpretes 2009

青少年のためのスペイン音楽ピアノコンクール

スペインの作曲家

エンリケ・グラナドス・イ・カンピニャ
(Enrique Granados y Campina)

(1867年7月27日〜1916年3月24日)スペインの作曲家。
スペインのカタルニアに生まれました。プホーフにピアノ、ペドレルに作曲を師事。 1887年〜1889年にかけてパリに留学し、帰国したのち、優れたピアニストとしても活躍しました。 グラナドスは、アルベニスと並び、スペインの国民主義作曲家の一人として名高く、民族色の強いアルベニスの音楽と比較すると、グラナドスの音楽はその民族性に加えて、ロマン的な性格が強く、その甘美さ、繊細さにおいて、シューマンや、ショパンとも相通じるところがあります。 また、印象派的な傾向など、ドビュッシーからの影響もみられます。 グラナドスは、スペインの中でも、北方の民謡を中心的に扱っており、洗練された書法が特徴である。 「スペインのグリーグ」とも呼ばれましたが、残念な事に1916年、第一次世界大戦の犠牲になり、ドイツのUボートに撃沈され英仏海峡にて残念ながら溺死しました。 作風としては、誌的でかつロマンティックなピアノ曲がよく知られています。スペイン民俗音楽に根ざした作品が多いですが、それらを近代的な作曲スタイルのうちに昇華させており、ファリャに連なる近代スペイン音楽の開拓者といえるでしょう。ピアノ曲以外にも「悲しみにくれるマハ」などの佳曲を含むロマンティックな歌曲集「トナディーリャス」や「カンシオネス・アマトリアス」は第一級の歌曲作品でしょう。

Page Top

マテオ・アルベニス(Mateo Albeniz)

(1765年〜1831年)
マテオ・アルベニスの詳細はわかりませんが、サンティアゴ巡礼のサンジャンピエドボーからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの間にあるログローニョ(カステーリャ地方のログローニョ“スペイン語Logrono,”はスペイン北部・ラ・リオハ州北端に位置する、同地方最大の都市で州都)という街の教会で教えていたという事ぐらいの資料しかありません。 1831年ギプスコア地方のサン・セバスチャンでなくなりました。 マテオの書いたソナタは多分チェンバロのために書いたものと思いますが、ニ長調のソナタで、ドメニコ・スカルラッティのスタイルである。しかしさわやかなスペインの香りを持った明るさは、スペイン音楽のイタリア化に抵抗した人の作品としてうなずけるものを持っていて、サパテアードを模倣した曲想が印象的です。

Page Top

アントニオ・ソレール(Antonio Soler)

(1729年12月3日受洗〜1783年12月20日)スペインの作曲家・聖職者
本名は、スペインの伝統によって、アントニオ・フランシスコ・ハビエル・ホセ・ソレル=ラモス Antonio Francisco Javier Jose Soler Ramosと長い。 カタルーニャ出身。6歳でオルガンと作曲の勉強を始め、モンセラート修道院の聖歌隊員に加わる。 1744年にセオ・デ・ウルゲル大聖堂でオルガニストと副助祭に任命される。後に、ジェイダ(Lleida)とエル・エスコリアルの礼拝堂指揮者に任命された。 23歳で叙階を受け、マドリッド近郊のエスコリアル修道院で日課を過ごし、それから31年間を一介の聖職者として過ごした。一日のうち20時間を祈りと瞑想、農耕に過ごし、単調で飾り気のない日々を送った。それでもなお、このように禁欲的な環境の中で、500曲以上の作品を残し得たのである。これらのうち150曲が鍵盤楽器のためのソナタであり、その多くは、スペイン国王カルロス3世の王太子ドン・ガブリエルのために作曲されたのだと信じられている。ソレールの肖像が存在するかどうかは判っていない。 最も有名な作品は、鍵盤楽器のためのソナタであり、(ソレールが師事したと伝えられている)ドメニコ・スカルラッティの作品に匹敵する。ソレールの作品は、形式においてスカルラッティよりも変化に富み、いくつかの作品は3楽章や4楽章で作曲されている。ソレールのソナタは、20世紀初頭にF.サムエル・ルビオによって分類され、整理番号 'R' が付されるようになった。コンチェルトやオルガンと弦楽器のための五重奏曲、モテット、ミサ曲、オルガン独奏曲などもある。《2台のオルガンのための6つのコンチェルト》は、非常に優れた作品であり、今でもレパートリーを生き延び、頻繁に録音されている。代表作とされるチェンバロのための《ファンダンゴ》は、現在では果たして真作なのかを疑う意見も出されている。論文『転調論Llave de la modulacion 』(1762年)も執筆しました。

Page Top

アントニオ・ルイス・ピポー(Antonio Soler)

(1934年〜1997年)
アントニオ・ルイス・ピポーは1934年グラナダ生まれ、1936年のスペイン内戦で両親を亡くし、グラナダの孤児院で育てられたそうです。 バルセロナではアリシア・デ・ラローチャに師事、またパリではアルフレッド・ドニ・コルトーに師事し、その後フランスに帰化し、ピアニスト、作曲家、音楽学者、教育者として世界各国で活躍し、来日経験もあります。 作品としては特にギターの為の「歌と踊り第1番デイル・カヴァナー」が大変有名です。1997年に肺がんの為にパリで亡くなりました。

Page Top

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス
(Isaac Manuel Francisco Albeniz)

(1860年5月29日〜1909年5月19日)
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けたピアノ音楽の作曲で知られています。 カタルーニャのカンプロドンで生まれ、4歳の時にピアノ演奏をするほどの天才児でした。 ライプツィヒの音楽院で短期間学んだ後、1876年にブリュッセルで学び、1880年にブダペストに赴いてフランツ・リストに師事しようとしたが、当時リストはヴァイマルにいたため会えませんでした。なお、少年時代についてはこれまで世界を股に翔けた冒険物語として伝記等で知られていましたが、これらはアルベニス自身の話を書き留めたものでほとんどが嘘である事が判明しています。 最近、徹底的な取材による新しい伝記が出版された。 1883年、教師で作曲家のフェリペ・ペドレル(1841年 - 1921年)に会い、「スペイン組曲作品47」などのスペイン音楽の作曲を勧められました。 1890年代にはロンドンとパリに住み、主として劇場作品を作曲しました。 1900年、腎臓病を患い、ピアノ曲の作曲に戻り、1905年から1909年の間に、最も良く知られた作品「イベリア」(1906年から1909年にかけて作曲)および12のピアノによる「印象」を書いた。これはスペイン音楽としてだけではなく、古今のピアノ作品の中でも傑作として演奏会でも取り上げられる機会の多い作品集です。なお、これらはギター用に編曲・演奏される機会が多い。 1909年、フランスのピレネー山中のCambo-les-Bainsで亡くなり、バルセロナのCementeri del Sudoestに埋葬されました。1903年頃に即興演奏を3テイク録音に残しています。 フランス大統領ニコラ・サルコジの現在の夫人セシリアは、アルベニスのひ孫です。

Page Top

公開講座資料のダウンロード
実施要綱のダウンロード
申込用紙のダウンロード
スペイン作曲家について
在日スペイン大使館からメッセージ
在日スペイン大使館へ
在日スペイン大使館
スペイン国営セルバンテス文化センター東京へ
スペイン国営セルバンテス文化センター